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2024年12月21日スタッフブログ
「生」を預かる 「死」と向き合う
向田邦子という小説家・脚本家がおられました。残念ながら不慮の事故でお亡くなりになってもうずいぶんになります。この方が書かれたショートエッセーをまとめた単行本が複数出版されており、私も学生の時に読んでおりました。その中のひとくだりです。
向田女史のご実家は雑種の犬を飼っておられました。「鉄」という名前だったと記憶しております。保健所の検診や接種に際しては「向田鉄」の名前で申請を出しており、「立派な名前をお持ちで」と獣医さんからも言われていたそうです。この鉄さんは向田家の人たちから家族として認められていたのでしょう。
この向田鉄さんは天寿を全うしてお亡くなりになりました。女史も非常に悲しんでいたそうですが、彼女のお母様はなぜかその日に外出。「買い物に行ってくるから」と出かけてしまったそうです。こんなときになんで?と彼女は非常に憤慨したそうですが後でその理由がわかりました。帰ってきたお母様の目はこれ以上ないくらいに腫れており、事情をたずねると「家にいるのがあまりにつらかったから、デパート中歩いて泣いていたのよ」とのこと。
慈愛に満ちたお話だなぁと思います。
一方私は生き物を飼う、ということを全くしません。これは「生」にかかわる責任すべてを担保することが重荷なのもありますが、それ以上に自分よりも先に死んでしまう生き物を見送るのが辛いからです。客先では犬や猫を飼っておられる方にも多数お会いいたします。ペットと接するのはその場限りですので感情移入も限られますし、それで助かっているところはありますね。そんなわけで「生」というものの尊さはわかっているつもりですが、自分が預かるというのはこれからもしないのだろうなぁと思います。
ペット関係の業界の方から弊社に新規参入を勧められたことがありましたが、その時に何か表現しようのない違和感を感じてしまいお断りしてしまいました。あの業界はペットの「生」を意図的に創造することによって利益を生んでいるといっても過言ではありません。ペットの「死」についても商売につなげるのはいかがなものかと。なんでも儲かったらいいというわけではないでしょうしね。すでに欧州の一部の国ではペットの売買を法律で禁じている国もあります。コンプライアンス以前に道徳的な問題で判断するべき問題なのかもしれません。
そういえば知人の愛犬が亡くなった際に特注のお位牌(というかモニュメント)を作成したことがありまして「これこれこういう文言を入れてほしい」とのご要望にお応えし納得いただける品物が出来上がりました。お客様からのアプローチであればお応えしますが、まあそれをどこかのペットショップと提携して公にアナウンスするのは何か間違っている気がするのです。