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2022年6月4日スタッフブログ

供養の形

一昔前であれば「仏壇仏具の業界は景気と無縁に安定している」というのが定説でした。仏事は絶えることのない重要な行事・・・それが世間一般の認識ではなかったかと思います。また、品物自体もめったに購入するものでもないですし、価格比較のできる情報源も限られていましたので小売店の言い値次第というところも正直あったようです。

この10年~20年くらいでその定説はあっさり覆りました。

半世紀前にあった「核家族化」という流れ・・・これも結構その当時衝撃的だったようです。数世代が同じところで居住しなくなって久しくなると、今度は「核家族の分散化」が始まりました。つまりあっちこっちに家族がバラバラで居住するようになっているのです。ご主人は単身赴任、お子さんは他府県へ大学進学ののち就職後も実家には戻らず。そういうのは別に珍しい話ではないと思います。加えて初婚年齢の高齢化や未婚率の高さも別に珍しいことではなくなりました。

こうなりますと仏壇業界は一気に冷え込みます。

加えてコロナ禍が追い打ちをかけました。お葬式や法事も簡略化、もしくは省略(!)されてしまいました。それでどうなるのかと思っていたらあんまり影響はないみたい。むしろ「あれ?別にこれでええんちゃうの?結局仏事ってなんやったんやろ?」的な流れがお客様を通して我々業界の人間も肌で感じております。

「死」に対する日本人の考え方もだんだん欧米的になってきているのかもしれません。

モーツァルトの生涯と暗殺を描いた「アマデウス」という映画があります。サリエリに毒殺されたモーツァルトの遺体が布袋に入れられて葬送用の大きな穴に放り込まれるシーンが印象的でした。こんな有名な音楽家でさえそういう扱いであることに衝撃を受けたのを覚えています。

さすがに現代での欧米でも死者を弔うことに一定以上の注意と敬意があるのは確かですが、「家系」を主にして考える日本とは一線を画すものがあります。このような考えを「合理的」とみるか「非情」とみるかは個人の考え方に委ねられてしかるべきですが、それについて論じることすら日本では許されない閉塞的な状況下にあったということでしょう。

ただ、京都の東山近辺は大昔、風葬や鳥葬の舞台であったと伝えられます。あの近辺にはこの世とあの世の境があると信じられていたのもそういうことからきていると容易に想像できます。東山区の六道珍皇寺様には小野篁公が通られたという冥界に通じる井戸が伝えられていたりするのもそういうことなのでしょう。・・・あれ、最近のこの流れはもしかすると原点回帰してるのではないのか??

つらつら思いつくままに書き連ねましたが、あと10年後に「弔いの形」「供養の形」がどう変化していくのか・・・半ば危機感をもって注視しております。それによっては我々業界のビジネスモデルは急激な変貌を遂げるかもしれません。