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2024年1月13日スタッフブログ

結果論

(今日は仏事とはあんまり関係ない話です・・・笑)

「帰納」と「演繹」という論法があります。ぶっちゃけ言うと帰納とは目的から1本のロープを下げて下から登っていく方法、演繹とは一個一個の土台を積み上げて目的の高みに到達すると申し上げればいいでしょうか。

どちらが優れているか・・・という問題ではなくケースバイケースでこれらを上手に使い分けることが重要になります。そのためには元となる論理・考え・情報・知識などが正確である必要があるのですがここが一番のキーになります。

「暦(こよみ)って守ったほうがいいのですか?」とお客様に訊かれることがあります。私自身は正直どっちでもよいのではないかと思いますが、決まってこういう答え方をすることにしております。

「そういうことに対して頓着されないのであればあまり関係ありません。でも、後々になって何か不都合なことが起こった時に『ああ、あの時暦をしっかり気を付けなかったからだ』とご自身の中でわだかまりが起こりそうなら念のため守っておかれては?」

ここである論法を考えてみます。

「暦や占いはこれまで長い間信じられてきた」
「近所のA さんは占いで悪い内容を予言された」
ここから結論として
「Aさんにはこれから悪いことが起こる」

これは演繹法に近いです。さて、ここには論理の飛躍がありますよね。「長い間信じられてきたから正しい」というのは詭弁に近い。だったらこの論法は根底からひっくり返ることになります。しかし「暦や占い」を信じている方々はこの論法に則って行動を決めることになります。

さて。

「Aさんは暦に則った引っ越しをしてうまくいった」
「Bさんは暦を無視して引っ越しをしてトラブった」
「Cさんは暦を無視したがうまくいった」
ここから結論として
「暦の重要視が引っ越しに関係しているかどうかわからない」

これは帰納法に近いです。当然こういったことは世の中いっぱいあるわけです。

で、さっきの私の話に戻るわけですが、暦を信じている人にとってこれから起こる事象は経験してみないとわからない、起きてから振り返ることができる結果論なわけです。しかしこれが何らかの心の支えになるのであれば、それも必要なことなのではないかと思います。

年始にあたって八坂神社に初詣に行きましたら、そこに掲げられた掲示板を見て自分が本厄であることを初めて知りました(笑)。自分はまあそういう部類の人間なんだろうなと思います。