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2022年10月29日スタッフブログ
コトバノチカラ
少し前になりますがYahoo!のコメント欄に投稿するにあたり携帯番号の入力が義務付けられる、というニュースが流れました。開始されるのは確か来月中ごろめどだったと記憶しております。なんじゃこりゃ?と思っていろいろなコメント欄を確認してみたのですが確かに一部の話題については決めつけのような罵詈雑言が並んでいます。一部メディアに流れた信ぴょう性のない話題を盲信して居るような向きもあり「こりゃ規制も仕方ないかな」と感じました。
時に言葉は人を追い詰めたり傷付けたりする凶器になり得ます。近年のネット社会ではこの闇の部分が少しづつではありますが法的にも整備される方向に向かっているのは喜ばしいことです。
接客をしていて思うのは「発言と記述のちがい」です。
「発言」は発せられた瞬間に消えていきます。そのあとに残るのは聞き手である相手の記憶の中しかありません。相手のとらえようでその際の印象は大きく異なってきます。だからこそ瞬時に消える言葉には十分に気を付けなければならないと常々思っております。間違ったとらえ方をされたら、それは相手の責任ではなく自分の責任であると自覚しなければならない。私も今までにずいぶん手痛い授業料を支払いました。
反して「記述」は十分な校正を加えてから読み手に渡すことが可能です。ただ、「言葉」と違いずっと残るものでもありますので書く際には緊張感をもって臨む必要があります。読み手のとらえ方を想像してきちんと伝える技術を要します。文才・・・とまでいかなくても何らかのノウハウを持つとコトは有利に働きます。
じゃあどっちが難しいか?という話になりますが、私自身は「発言」の方がより高度な技術を要すると思っております。瞬発力=頭の回転の速さが重要になるからです。接客が終わりお見送りをさせていただいた後である種の疲労感が出るのはそういう理由からなのでしょうね。
今は動画配信サイトで様々な「発言」を繰り返し視聴することができるようになりました。そういう意味では発信側に要求されるレベルは上記の項目2つを併せ持ったハイブリッドのような厳しいものになってきています。
今週、野田佳彦元首相が故安倍晋三元首相に向けて述べた国会での追悼演説は見事でした。用意された原稿の内容も十分精査されたもので素晴らしく、棒読みではない感情込めた演説は、最近の政治家のそれとは一線を画すものでした。政治家としての技量は存じませんが演者としての技量は超一級でしょう。彼は演説の中で「暴力の狂気に打ち勝つ力は言葉にのみ宿る」と訴えました。言論は如何なるものにも屈しない力である、と。その言葉通り、この演説はまさにコトバノチカラを体現していたと思います。そこには言葉を操るプロとしてのすごみがありました。
言葉って難しいなぁ・・・最近様々な事象に出会うたび頻繁に感じるようになりました。小さな会社のしがない店主ではありますがこれは接客をさせていただく限りずっと背負っていくものなのでしょうね。