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2025年9月13日スタッフブログ

知る人ぞ知る

ちょうどコロナの第一波が収束して世情がちょっと落ち着いたころだったでしょうか、出入りをさせていただいておりますお寺のご住職からあるお話をうかがいました。

ある日突然、だれでもご存じの女性週刊誌から電話があったそうです。窓口の編集者いわく「高名な占い師の〇〇という先生が、今年日本中のパワースポットの中でもそちらのお寺の庭園のある地点が群を抜いているとのこと。ぜひともご紹介させていただきたいのでご了承いただきたい。なんなら近いうちに写真など撮影させていただきたい。」・・・

で,どうなさったんですか?と聞くと「そんなん断ったわ」とのこと。

お寺の本質は仏の道を伝えていくことだというのは言うまでもないが、何よりも不特定多数の人間がブームに乗って訪れるとお寺の敷地内に不法に侵入したり、丹精した苔のうえに踏み込んだりするのが目に見えている。人が来てくれることはありがたいが、どうせ一時のことでもあるし消費されて打ち捨てられるのが関の山。

今になって思うのは、京都市内・・・特に洛中と呼ばれる地域の現状です。私有地に勝手に侵入して画像を撮影したりごみを捨てて放置したり、はたまた夜中に酔っぱらって奇声を上げている観光客とおぼしき方々もおられます。「京都の台所」だった錦市場もすっかり「食べ歩き横丁」になってしまいました。一昔前までは地元の人たちが「ちょっと気ぃ張ったもん」を買いに行く場所だったのですがねぇ・・・。

「消費されている」というのは言いえて妙だなぁと思います。結局後に残るのは「残渣」のような抜け殻=嚙みすぎたガムですからね。

つくづくあのご住職のおっしゃったことは現在の京都の姿の予言だった・・・今はただただ非常に残念な気持ちです。「知る人ぞ知る場所」というのは隠れた名所・穴場のような印象を受けますが、実は「ひっそりと本質を守り続けている場所」なのかもしれません。そういった意味でも京都の「知る人ぞ知る」場所が次々に蹂躙されているのはなんとも情けないものです。